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    水彩画

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      JUGEMテーマ:趣味

      2年前、「巨匠たちの英国水彩画展」というのに行って
      ターナーの絵に感動し、通信講座で「水彩画」を申し込み
      ました。それまで美術展には何度も行って感動したり衝撃
      を受けたことは数えきれないほどあるけど、自分も描いて
      みたいと思ったのはこの水彩画展が初めてでした。ターナー
      をはじめ英国の画家達の細かい建物の描写に驚き、子供
      の頃図工で使った絵具でこんなに豊かな表現ができるの
      かと感動し、さらにターナーの晩年の抽象的な絵を見て、
      「これぐらいなら自分にも描けそう」と思ったからでした。
      実際に通信講座の教材で描いてみて、天才画家が努力
      の末に最後にたどりついた表現は簡単にまねできるもの
      ではないと思い知らされましたが(笑)

      2年間マイペースでゆっくりやっていたのですが、添削期間
      が延長を入れても1年しか残ってなく、9月に入って仕事の
      休みも増えたので、ここ数日は毎日続けて描いていました。
      ちょうどテキストが風景画に入り、目指せターナー(笑)なの
      で風景画、それも外国のレンガの家とか運河や橋などが描
      いていて一番楽しいです。毎日続けてテキストをじっと見て
      描いていれば、どんなに下手でも自分が前に描いたものより
      はうまくなっています。

      残り1年でなんとか通信講座の添削を終わらせ、次はカル
      チャースクールにでも入って、ゆくゆくはヨーロッパにスケッチ
      旅行に行きたいと夢は広がっています。
      ステラ * 創作 * 12:15 * comments(0) * trackbacks(0) * -

      光と影

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        JUGEMテーマ:アート・デザイン

        去年の秋「巨匠たちの英国水彩画展」を見て以来水彩画を習って
        みたいと思うようになり、2月の初めに思い切って通信講座を申し込
        みました。私は美術展とかはよく行っていますが学生の時は美術は
        むしろ苦手科目の方で卒業してからはほとんど絵など描いたことが
        ない、そんな人間に絵を描きたいと思わせたのですからターナーは
        素晴らしいです。

        教材が届いて、あんまり張り切って傑作を描くぞと力むと挫折しそう
        なので、時間がある時にとりあえずお手本を真似して描いてみようと
        いうところから始めました。目標は「目指せターナー」ととてつもなく
        高いのですが(笑)まずは初めの1歩と近くにある手頃な山から登り
        始めたという感じです。

        絵を描いていて気付いたことは、透明水彩絵具を使う場合、白は使
        ってはいけなく1番明るいところは塗りのこさなければならない、つまり
        光の部分は直接描けず、周りの影や色の濃いところの表現によって
        光の当たったところを表わさなければいけないということです。これは
        私にとってはすごい発見で、影という言葉にどちらかというと悪いイメー
        ジを持っていたのですが、影を描くことで光が見えてくる、1番暗いところ
        をしっかり見ることで逆に光が理解できるのではないかと思ったのです。
        「風の影」という小説を読んで風に例えられる強い影響力を持った人間の
        せいで運命を変えられ人の影になって生きた人の物語、というような解釈
        をしていたのですが、影のイメージが変わると目に見えない風を表現す
        るためにもその影を描かなければならない、人間が直接見ることができ
        るのは影だけというように考えるようになりました。こういった見方でこの
        本はまたぜひ視点を変えて読んでみたいと思いました。

        さて、自分が描いた絵ですが、よい教材やテキスト、さらには少し前に
        催眠療法というのも体験したので、うまく無意識さんやハイアーセルフ
        などというものと繋がって才能が開花するかもしれないと密かに期待も
        していたのですが(笑)やっぱり無理でなかなかうまくは描けません。
        ただ自分の描いた絵をふっと思いついてメガネをはずして見たら結構
        きれいに描けていて「なかなかいいじゃない」と自画自賛(笑)メガネを
        はずして見るというあたりで無意識さんがサポートしてくれたようです。
         
        ステラ * 創作 * 11:01 * comments(0) * trackbacks(0) * -

        ミエザの思い出

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          アレキサンダー 通常版 [DVD]
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          JUGEMテーマ:旅行


          ギリシャ第2の都市テッサロニキの周辺にはアレクサンドロスに関係ある
          遺跡がたくさんあります。マケドニア王国の首都だったペラや古都アイ
          ガイであることがわかったヴェルギナ、これらの場所は観光地としてき
          ちんと整備され博物館もあります。

          でもアレクサンドロスが13歳から16歳ぐらいまでの間、哲学者アリスト
          テレスの教えを受け、プトレマイオスやヘファイスティオン、フィロタスと
          いった後に重要な側近となる同じ年くらい(プトレマイオスは8歳ほど年上?)
          の少年達と暮らしたミエザは地元テッサロニキの観光会社の人ですら知らない
          ような場所でした。

          ようやくさがしあてたその場所は石造りの建物などは崩れていましたが、広場
          や小川などは2000年前と変わらない雰囲気で残っていました。この石に座
          ってアリストテレスが哲学を語り、マケドニア王国の将来を担うアレクサンド
          ロスとその友人達が周りを取り囲んでいたのかもしれない、でも天気のよい日
          はポカポカと暖かく、鳥の声や小川のせせらぎなど聞こえるこんなところで
          哲学の授業を聞いたら眠くなりそうです(笑)ここで彼らは王宮から離れて
          質素な生活をしながらも、世界の広さを知り未来への限りない夢を育んでいた
          のでしょう。彼らはその後遠征に向かい、だれ1人故郷に戻ることなくプトレ
          マイオス以外は志半ばに死んでいるけど、ここで習ったことや生活体験、見た
          景色が生きる原点になっていたかもしれない、そんなことを考えていつまでも
          呆然と立ちつくしていました。



          ステラ * 創作 * 09:03 * comments(0) * trackbacks(0) * -

          F,あるいはHのつく名前

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            アレキサンダー プレミアム・エディション
            アレキサンダー プレミアム・エディション

            JUGEMテーマ:読書


            私が小説や映画で好きになる人物、頭文字がFあるいはHであることが
            圧倒的に多いということを発見しました。

            指輪物語・・・ファラミア、フロド、フィンドラス(ボロミア、ファラミアの
                   母)フーリン家(ゴンドール執政家)

            アレキサンダー・・ヘファイスティオン、フィロタス、フィリッポス2世

            君のためなら〜・・ハッサン

            風の影・・・フリアン・カラックス、フェルミン

            アラゴルン、アレキサンダーなどAがつく名前はいかにも偉大な王様、主人公
            の名前という強い響きを持つ名前ですが、F、Hで始まる名前の人物はそれほ
            ど強くなく(例外もありますが)ナンバー2というイメージです。

            私は主人公よりも脇役の方が好きになる傾向が強く、特に主人公を支えるけな
            げなナンバー2というのがツボにはまり、その理想をかなえてくれるのがF,
            あるいはHのハヒフヘホで始まる名前というわけです。これはあくまでも外国
            作品に限られ、日本の名前では別にハヒフヘホで始まる名前に特別な思いいれ
            はないのですが・・・

            FやHで始まる名前というのは、強い印象を残さなくても名前を呼んだ人に
            優しい気持ちを呼び戻す不思議な力があるようにも思えます。
            ボロミア→ファラミア
            デネソール→フィンドラス
            サム→フロド
            アレキサンダー→ヘファイスティオン
            アミール→ハッサン
            ミケル→フリアン

            過酷な運命や重責を背負った左の者が右の者の名を呼んで行動を共にした時
            にどれほど心の安らぎと喜びを得ることができたか、そしてその片方を失った
            時にどれほどダメージを受けて崩れてしまったか、私が本や映画で感動し涙を
            流す原点がここにあり、その重要な片方の人物が、この音で始まる名前である
            ことが多いということに気がつきました。

            FやHで始まる名前というのは響きがやさしいので何度もつぶやいてみたく
            なります。フィリッポス2世とパルメニオン将軍の場合、身分差があるので
            そう気安く名前を呼び捨てにすることはなくても、祝宴などでつい名前で
            呼んでしまえば、王も
            「お前ならかまわぬ」
            と酔ってガハガハ笑っている、そんな光景が浮かんできます。パルメニオン
            が息子フィロタスを、あまりにも傲慢になりすぎていると注意しようとし
            ても、この名前を呼んでしまうと我が子も立派になったとどうも頬が緩んで
            しまい強くはいえなくなってしまう、そんな気がしました。フィロタスの
            傲慢さは親世代の親しさからくる気の緩み、それが自分が糾弾される原因
            になってしまうのですから本当に気の毒です。

            その名前を呼んでやさしい気持ちになり、唇になじんで自然に出てくるほど
            になっているほど(ヘファイスティオンやフィンドラスなどの名前はつっか
            えずに言うのが難しい)その相手を失った時の気の狂うような悲しみがどれ
            ほどの者か、想像すると胸が痛くなります。ハ行で始まる名前は主人公に
            なることは少ないけど、重要な相手役脇役になることが多い名前だと思い
            ました。



            ステラ * 創作 * 09:43 * comments(0) * trackbacks(0) * -

            ヘラクレスの子孫

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              古代ギリシアがんちく図鑑
              古代ギリシアがんちく図鑑
              芝崎 みゆき
              JUGEMテーマ:読書


              古代ギリシアの中でヘラクレスは特に人気のある神様の1人のよう
              です。映画「300」でレオニダス王が最後に
              「スパルタ人は豪傑ヘラクレスの血筋を引いている」
              と言っているし、アレキサンダーの150年くらい前のご先祖様
              アレクサンドロス1世はマケドニア王家の家系図を見せて自分たちは
              ヘラクレスの子孫なのだからギリシア人であると主張し、オリンピア
              競技会への参加が認められたそうです。アレキサンダーも映画の最後
              の方でヘラクレスと同じようにライオンの皮をかぶっている場面があり
              この英雄の子孫であることを強く意識していたようです。

              でも今日の私達の目で見ると、他のギリシア神話の登場人物でもそうな
              のですが、ヘラクレスは強くて憧れることはあっても、あんまり同じよう
              な人生を歩みたいとか、自分の家族や友人にはいてほしくないタイプの
              人間です。力が強くまたすぐかっとなる性格なので子供の時家庭教師を
              殺してしまっているし、ヘラに狂気を送られたとはいえ自分の子供まで
              殺しています。12の荒行もいわばその罪滅ぼしのためにやったもの、
              そしてそれだけの偉業を成し遂げたにもかかわらず人間としてのヘラク
              レスの最後はあまりにも悲惨でむごたらしいものです。最後はヘラと和解
              して神に加わりましたが、それでも同じような人生を送りたいとは思え
              ないです。

              でも古代ギリシアの英雄は自分にもヘラクレスの血が流れていると信じて
              勝てる見込みのない戦いでも勇敢に戦ってきました。人間としての弱さや
              狂気を持った完全無欠ではない英雄を自分達の祖先とし神とあがめたこと
              この部分が一神教のキリスト教やイスラム教とは大きく違います。

              つい最近病院である検査を受けて、そんなに痛い検査ではなくほとんどの
              人は麻酔なしでやっていると言われたのですが、本人は死ぬほど辛く拷問
              に等しいと感じていました(笑)そういう時思い浮かべて心の支えとなる
              のはハッピーエンドの英雄ではなく「指輪物語」のデネソールとか「風の
              影」のフリアンのような狂気に陥って自分で最悪の結果を招いてしまうよ
              うな人物でした。人間の強い意志や感情が招いた狂気や残酷な死ならば、
              その結果がどうであれそういう人間の生き方は尊くそれだけで価値がある
              苦し紛れにそんなことを考え、同じ思いを古代のギリシア人はヘラクレス
              などの英雄に感じていたのではないかと思いました。

              あ、でも普通の人にとっては全然なんでもない検査ですので、死ぬほど
              苦しい経験なんて何があったのだろうとあまり心配しないでください。
              私が大袈裟なだけです(笑)

              ステラ * 創作 * 15:37 * comments(0) * trackbacks(0) * -

              カッサンドロス朝マケドニア(3)

              0
                王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母 (ちくま新書)
                王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母 (ちくま新書)
                森谷 公俊
                JUGEMテーマ:読書


                高校生の長男に話した世界史の教科書には載ってない「カッサンドロス朝
                マケドニア」前回の続きです。これは私がいろいろな本を読んで自分のイ
                メージで人物像を創作しているところがあるので、歴史について正確に書
                いているとは言えないです。半分くらいはフィクションと思って読んでくだ
                さい。

                「カッサンドロスにはテッサロニケとの間に3人の息子がいたの。長男が
                フィリッポス、次男はアンティパトロス、そして三男がアレクサンドロス
                という名前だった」
                「なんかみんなどっかで聞いたような名前だな」
                「そう、マケドニア王家では同じような名前をつけることが多いから。アレ
                クサンドロス3世の父がフィリッポス2世で、兄アリダイオスが名前を変え
                てフィリッポス3世になったから、カッサンドロスの長男はフィリッポス4
                世ね」
                「ややっこしい、同じ名前つけるなよ」
                「もっと後の時代になって、教科書にも出てくるアンティゴノス朝マケドニア
                にもフィリッポス5世という名の王様がいるの。つまりフィリッポスという名
                前はマケドニア王家で一番人気のある名前の一つだったのよ。フィリッポス2世
                が活躍したから」
                「でも、フィリッポス2世と3世は親子だけど、カッサンドロスやアンティゴノス
                の子孫は血の繋がりはないんだろう」
                「そういうこと。彼らはフィリッポスやアレクサンドロスと直接血の繋がりは
                ないからこそ、同じ名前をつけて彼らにあやかりたいと思ったのかもしれない」

                本当にカッサンドロスの3人の息子は、当時の有名人の名前をそのままズラリ
                とつけたというような気がします(笑)でも長男フィリッポスはそれでもまあ
                比較的無難な名前ですが、次男のアンティパトロス、三男アレクサンドロスと
                この2人の名前のつけ方がカッサンドロス朝を滅亡に導いてしまったように
                思えてならないのです。

                「アンティパトロスというのはカッサンドロスの父の名前で、祖父の名前を
                もらうというのはよくあることだったけど、彼の場合はそれが悲劇を招いて
                しまった」
                「親子関係がよくなかったからだろう」
                「そう、大臣アンティパトロスは80歳まで現役でずっと活躍していた人だけ
                ど、最後死ぬ時に遺言で長男のカッサンドロスではなく部下のポリュペルコン
                を後継者に指名してしまったのよ」
                「どうして?」
                「アンティパトロスは息子のカッサンドロスが自分の後継者になってマケド
                ニアの実権を握ることはよくないと考えたのね。どんな事情があったか知ら
                ないけど、カッサンドロスは最後の最後で父に否定されポリュペルコンを相
                手に長い抗争を続けなければならなかった。最終的に彼が勝ったけど父に対
                する不満は一生消えなかったと思う」
                「だったら子供に同じ名前をつけるなよ!恨みに思っているんだろう。つけ
                られた方はいい迷惑じゃないか!」
                「そうね。でもアンティパトロスという名前は優れた大臣としてマケドニア
                で有名になっていただろうし、カッサンドロスの心の中には自分を認めずに
                死んでしまった父ともう一度やり直したい、理解してもらいたいという気持
                が強かったんじゃないかな。それで敢えて父と同じ名前を次男につけた」
                「そういう複雑なことを子供に期待しない方がいいと思うけどな。それだと
                絶対歪むぜ」
                「そうかもしれない」

                カッサンドロスがどんな気持ちで次男にアンティパトロスという名前をつけ
                たかはわかりません。でもこの名前のつけ方はまずかったなあと思えるので
                す。いくら最終的に自分が勝って王になったとはいえ、散々苦労してポリュペ
                ルコンを追い払ったのですから、なぜ最初から父が自分を認めてくれなかっ
                たのかと恨むこともたびたびあるでしょう。その苦い記憶が次男の名前を口
                にするたびに蘇ってしまうのです。そして妻テッサロニケの感情はもっと複
                雑です。彼女は血の繋がりはないけどアレクサンドロスの母オリュンピアス
                に育てられています。育ての母を処刑したカッサンドロスとの結婚を強いら
                れ、息子の1人は継母の宿敵で幼い頃から悪口を聞かされていたであろう大臣
                と同じ名前、これでは次男の名を呼ぶたびにいやな記憶が蘇り、無意識のう
                ちに息子につらくあたってしまいそうです。

                「そして三男にはアレクサンドロスという名前がつけられた」
                「それは本当にやめたほうがいいと思うな。比較しろと言わんばかりの名前
                じゃないか」
                「その通り。12歳で殺されたロクサネの子が4世だから、アレクサンドロス
                5世ね。カッサンドロスはともかく、テッサロニケはこの三男のアレクサン
                ドロスをとてもかわいがったらしいの」
                「それは酷いじゃないか!」
                「そう、次男アンティパトロスにしてみればこんな残酷なことはないかも
                しれない。やがてカッサンドロスは60歳くらいで死に、長男のフィリッポス
                が跡継ぎになったけど、彼は王位について4ヶ月後に突然死んでしまうの」
                「暗殺か?」
                「病死と記録には残っているけど、わからないわね。オリュンピアスの呪い
                かもしれないし・・・」
                「呪いなんて非科学的なこと」
                「非科学的だけどオリュンピアスはアレクサンドロスの死もカッサンドロス
                の暗殺だと疑っていたし、最後石打の刑という残酷な方法で殺されているん
                だから、石をぶつけられるたびに呪いの言葉をつぶやいたでしょう。それだ
                け怒りが激しければ呪いは実現するでしょう。カッサンドロスではなく息子
                達にふりかかったようだけど・・・」
                「・・・・」
                「呪いは実現した。フィリッポスが死んだ後、次男のアンティパトロスが
                まだ十代で王位についてテッサロニケが摂政になった。でもそれからすぐ
                アンティパトロスは実の母であるテッサロニケを殺してしまうの」
                「どうして、王になっていたんだろう?」
                「長男のフィリッポスが生きていれば兄弟3人バランスがとれていて仲良く
                やっていけたのかもしれない。でも兄が死んでアンティパトロスが王にな
                った。摂政の母は自分よりも弟のアレクサンドロスの方を遥かに愛してい
                る。いつか自分を亡き者にして弟に王位を継がせるに違いない。そう考えて
                心が安らぐ日など1日もなかったのよ。アンティパトロスとアレクサンドロス
                の2人はその後他の国を巻き込んで激しく争い、どちらも死んでしまった。
                混乱したマケドニアを再び統一したのがアレクサンドロスの部下アンティゴ
                ノスの孫だった。それがアンティゴノス朝マケドニアの始まりね」
                「へえー、兄弟の両方とも死んでしまったわけか」
                「同じ血を分けた兄弟だからこそ、争った時は勢力も同じくらいになり相手
                の行動も読めてしまう。まったくべつの国と戦うより悲惨だったかもしれな
                い。でも、母を殺したアンティパトロスにとって国や王位はもうどうでもい
                いことになっていたかもしれない。弟さえ生まれていなければ、母の愛を
                奪った弟さえ殺すことができれば・・・そんな気持ちでいっぱいだったと思
                う」
                「どっちが先に死んだかわかっているのか?」
                「さあ・・・私はアンティパトロスの方が弟より少しでも長く生きてくれれ
                ばいいと思うけど・・・」
                「どうして?」
                「彼の気持ちはもう弟への憎しみでいっぱいになっていたと思うの。オリュン
                ピアスがカッサンドロスを呪ったように。オリュンピアスの呪いはカッサンド
                ロス朝の滅亡で終わり、アンティパトロスの憎しみは弟の死で終わる。それ
                が一番いいことのように思えるから」

                カッサンドロスが3人の子に別の名前をつけていたら、歴史の教科書には彼
                の王朝名が載ったかもしれません。でもそうはならなかったのは、やっぱり
                呪われていたからでしょうか?世界史の勉強、長男にはテストには絶対出ない
                話ばかりしてしまいましたが、それでもこの科目がテストでも通知表でも一番
                点数がよかったです。

                ステラ * 創作 * 16:10 * comments(0) * trackbacks(0) * -

                カッサンドロス朝マケドニア(2)

                0
                  古代ギリシアがんちく図鑑
                  古代ギリシアがんちく図鑑
                  芝崎 みゆき
                  JUGEMテーマ:読書


                  期末テストが終わり、高校生は来週から夏休みですけど、前回の
                  続きの話、長男に語ったカッサンドロス朝マケドニアについて書き
                  ます。ちなみに彼のテスト結果、世界史が93点で全科目の中で
                  一番いい点数だったそうです。教科書はもちろん、各種参考書まで
                  読み比べて万全のサポート体制でテストに臨ませた母(世界史だけ
                  ですけど)にはまだまだ不満のある点数ですが・・・

                  「ところでギリシャの首都ってどこ?」
                  「そんなものアテネに決まっているだろう。俺を馬鹿にするのか」
                  「それじゃあギリシャ第2の都市は?」
                  「知るか、そんなこと」
                  「第2の都市はテッサロニキ、カッサンドロスが妻にしたアレクサン
                  ドロスの妹テッサロニケからつけられた名前ね。聖書にも出てくるし
                  アテネオリンピックのときサッカーの試合も行われたから覚えておい
                  てね」
                  「アテネオリンピックって何年前の話だ?」
                  「とにかく王、そのころは王とは名乗ってないけどマケドニアの最高
                  権力者になったカッサンドロス、テッサロニキの街を作ったり、その
                  当時のペラの街を修復したりと頑張って国の復興に努めた。今残って
                  いるペラの遺跡はほとんどがカッサンドロスの時代に修復されたもの
                  であって、アレクサンドロスの時代のものではないの。彼はずっと遠征
                  に行っていたから」
                  「まあ、そうだろうな」

                  カッサンドロスといえば、私がとても気に入っているエピソードがあり
                  ます。それも話さなくては・・・
                  「それからよく教科書なんかで出てくるアレクサンドロスの肖像画、あれ
                  はイッソスの戦いを描いた大きなモザイク画で、ポンペイから発見された
                  のだけど、それの元になる絵を画家に注文して描かせ王宮に飾っていたの
                  もカッサンドロスだったの」
                  「ふーん」
                  「すごいでしょ。あれだけ怖れていたアレクサンドロスの肖像画をわざわ
                  ざ自分の王宮に飾ったのよ」
                  「怖れていたってどれくらい?」
                  「バビロンで王の前でみんなが跪いたのを見てカッサンドロスが笑ったと
                  いうのは話してあるね。それでアレクサンドロスは激怒してカッサンドロス
                  の髪を掴み、壁に頭を打ちつけるという激しい暴力を振るったらしいの」
                  「ひえ〜、ちょっとこわいじゃんか」
                  「カッサンドロスにとっては殺されるかと思うほどの衝撃的な出来事だった。
                  もっとずっと後になって、アレクサンドロスが死んで自分が権力を握ってい
                  ても、彼の銅像を見ただけで眩暈を起こして倒れたっていうのよ」
                  「へ、情けない」
                  「それなのにわざわざその怖れていたアレクサンドロスの肖像画を王宮に
                  飾って毎日見ていた。それって素晴らしいことだと思わない?」
                  「どうせ人気取りのためだろう。アレクサンドロス関係の銅像や絵を置いて
                  いれば国民は喜ぶ」
                  「その通り!でもそれだけではないと思うのよね。カッサンドロスの心の
                  中にアレクサンドロスに対する怖れだけでなく尊敬の念もあり、でもや
                  っぱり怖くて、それでも肖像画を飾り、自分の中の怖れや弱さを克服しよ
                  うとした。そこが素晴らしいのよ」
                  「それは考え過ぎ、どうせ人気取りだ」
                  ああ、なかなかこの複雑な葛藤について、高校生ではわかってくれません。
                  なんて言って、私自身カッサンドロスの心理がわかって書いているわけでは
                  なく、あくまでも想像ですが・・・

                  「でもさ、結局そのカッサンドロスって、アレクサンドロスの子供も殺して
                  いるんだろう」
                  痛いところを突かれました。唯一の王族で、自分の政権が移るかもしれない
                  という理由で彼はアレクサンドロスの子を部下に命じて殺させているのです。
                  なんの罪もない12歳の少年を・・・
                  「そうね。それはまあアレクサンドロスの子が生きていれば、いずれ他の
                  部下が彼に味方して政権が奪われるという危険があったから。でも彼なり
                  に良心の呵責はあったと思うの。ヴェルギナの墳墓から12歳位の少年の
                  遺体も見つかって、それがアレクサンドロスの子供のものではないかと言わ
                  れている。やむをえず殺すことになったけど、せめてお墓だけでも同じ王家
                  の場所に作って立派な埋葬品を入れたのよ」
                  「ふ〜ん。それでその母親はどうなった?」
                  「母親のロクサネも一緒に殺されたけど、それは王家の墓には・・・・」
                  「だめじゃん、それ。どうせなら一緒の墓に入れてやれよ。かわいそうに、
                  罪滅ぼしのために立派な埋葬品を入れたんだろう」
                  そうです。そんな気持ちでお墓を作ったカッサンドロスですけど、やっぱり
                  この人、マケドニア人、そしてギリシャ人が一番優秀で偉く、その他の民族
                  は劣っているという考えが強かったのでしょう。遠征先でアレクサンドロス
                  王妃にした異民族の娘ロクサネの遺体がどうなったかわかっていません。
                  こういう一面があるから、いいこともしているのにカッサンドロスの弁護
                  をすることが難しくなります。

                  この続きはまた次回・・・・



                  ステラ * 創作 * 15:22 * comments(0) * trackbacks(0) * -

                  カッサンドロス朝マケドニア(1)

                  0
                    王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母 (ちくま新書)
                    王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母 (ちくま新書)
                    森谷 公俊
                    JUGEMテーマ:読書


                    アレクサンドロス大王死後の後継者争いでできた王朝、高校の世界史の
                    教科書にはプトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティ
                    ゴノス朝マケドニアの3つが出ています。カッサンドロス朝マケドニア
                    というのは教科書だけでなくかなり詳しい参考書でも載っていません。
                    でも私は短いカッサンドロス朝の時代に起きた出来事に、歴史の中でも
                    とりわけドラマチックで人生を考える重要ポイントが含まれていると思
                    ったので、テスト勉強をしている長男のそばに行って詳しく説明しまし
                    た。「世界史なんて俺1人で充分できるから(彼も社会が1番の得意科目
                    だった)そんなテストに関係ない余計な話をしないでくれ」と嫌がられ
                    ましたが(笑)

                    「アレクサンドロス3世の父の名前は?」
                    「フィリッポス2世、カイロネイアの戦いでギリシャ同盟に勝つ」
                    「アレクサンドロスの死後できた王朝の名前は?」
                    「プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝
                    マケドニア、知ってるよそのくらい」
                    ここまでは歴史の教科書にも彼のノートにも書いてあります。

                    「どうしてアレクサンドロスの死後、部下達が帝国を分割することにな
                    ったの?」
                    「・・・・・」
                    この質問で、歴史好きの高校生でもちょっと困ります。
                    「アレクサンドロスの死後、帝国が分割されて部下達が治めるようになっ
                    たのは、大きな力を持つ後継者がいなかったから。フィリッポス2世が暗殺
                    された時、20歳のアレクサンドロスの他に従兄弟でアミュンタスという人
                    がいたけど、彼は謀反の疑いをかけられて殺された。そうやって王家の中で
                    ライバルになりそうな人が次々殺されていたから、アレクサンドロスが32歳
                    で死んだ時、王族では母の違う兄で知的障害のあったというアリダイオスしか
                    生き残っていなかったの」
                    「へえ・・・」
                    「部下達はとりあえずそのアリダイオスを王にして、まだ生まれていないアレ
                    クサンドロスの子が男の子ならその子を王にしようと話し合った。知的障害の
                    ある兄か、直系だけどまだ生まれていなくてしかもマケドニア人ではない王妃
                    から生まれた子を王にするか、どっちもどっちというわけよ。当然部下達の間
                    で激しい権力争いがあった。部下だけでなくアレクサンドロスの母オリュンピ
                    アスもその争いに加わっていて、彼女はフィリッポス3世と名前を変えて王位に
                    ついていたアリダイオスを殺させた。でもそのオリュンピアスもやがてはマケ
                    ドニアの実権を握ったカッサンドロスに処刑されてしまう」
                    「フィリッポス3世って、同じ名前かよ」
                    「そう、その当時は1人偉い人が出るとそれにあやかって次々と同じ名前を
                    つけたり途中で改名したりしていたから。アレクサンドロスの父も兄も同じ
                    フィリッポス、だからヴェルギナで発見されたマケドニアの王墓の中で未盗掘
                    で一番立派な装飾品が出た墓がどっちのものかわからないで論争が続いている
                    の。発見した博士はアレクサンドロスの父のものだと信じて疑わなかったけど
                    その後の調べで兄のものである可能性も出てきたのよ。どちらもフィリッポス
                    という名前で40歳ぐらいで死んでいて、一緒に葬られていた王妃が20歳位
                    で同じエウリディケという名前だから・・・」
                    「2世か3世かはっきり書いておけよ(笑)」
                    「それは後になって便宜上つけた名前だから、その当時の人は○○3世とか
                    言わず、○○王と呼んでいたんでしょう」

                    「そんなことはどうでもいいよ。こっちはテストで忙しいんだ」
                    「待って、ここからが重要ポイントだから。アンティゴノスがマケドニアを
                    統一したのは、この人は部下の孫だからもっと後の時代で、その前にはカッサン
                    ドロス朝マケドニアがあった」
                    「そんなの教科書に載ってないよ。そのカッサンドロスは何者だ?」
                    「フィリッポス2世よりも前の時代からのマケドニアの重臣アンティパトロス
                    の長男。アレクサンドロスとほぼ同じくらいの年齢で、東方遠征には参加して
                    ないけどプトレマイオスなどとも深い交流があった。彼はアレクサンドロスが
                    バビロンにいた時に父の弁護のためにそこまでいって、王の前でみんながペル
                    シャ風に跪いて大袈裟な挨拶をするのを見て笑い出し、逆にアレクサンドロス
                    を激怒させてしまった」
                    「馬鹿だね、そういうのをKYっていうんだ」
                    「でもずっとマケドニアに住んでいて、王と部下が友達のように親しく話す
                    のを見ていたから驚いたんでしょう。それが原因かどうかは知らないけど、
                    大臣アンティパトロス、この人は80歳くらいまで長生きしたのだけど彼は
                    死ぬ時長男のカッサンドロスを自分の後継者にはしないで別の部下を選んで
                    しまったの。それでもカッサンドロスは自力でその部下を追い出し、マケド
                    ニアの実権を握ってついには父の時代から宿敵だったアレクサンドロスの母
                    オリュンピアスを処刑した。でもこの時彼はまだ王とは名乗っていない。王
                    位についていたのはアレクサンドロスの子供だったから、自分はあくまでも
                    摂政として王を支える立場の人間であることを強調した」
                    「ふーん」

                    「オリュンピアスを処刑した後、カッサンドロスはフィリッポス2世の娘
                    の1人、アレクサンドロスとは母が違う妹のテッサロニケと結婚した。そう
                    すれば王族の仲間入りをし・・・」
                    「空気は読めなくても頭はいいんだ」
                    「そして2つの都市を建設した。1つには自分の名前をとってカッサンドレイア
                    と名づけ、もう1つは妻の名前からテッサロニキとつけた。アレクサンドロス
                    はアレキサンドリアという名前の都市をたくさん作ったけど、彼は自分の名前は
                    1つだけにして、王族だった妻の名前から都市の名をつけた。その方が国民から
                    反感をもたれにくいからね」
                    「でも結局そいつは王になったんだろう」
                    「そういうこと。でもその話をするとまた長くなるから」

                    ということで、この続きはまた別の日に・・・






                    ステラ * 創作 * 09:56 * comments(2) * trackbacks(0) * -

                    ヘファイスティオンのプライベートレター

                    0
                      大遠征アレキサンダーの野望―ギリシャからアジアへの旅 (Newton mook―Visual science series)
                      吉野 美耶子,マイケル・ウッド
                      JUGEMテーマ:読書


                      この本に直接プライベートレターが載っているわけではなく、ど
                      ちらかといえばヘファイスティオンについてはかなり批判してい
                      ます。でも遠征軍が辿った道がたくさんの写真で紹介されていて
                      とてもわかりやすいです。

                      アレキサンダーの親友ヘファイスティオンが書いたパピルスの
                      プライベートレターが残っていると、かなり前にブログで知り合
                      った方から教えてもらいました。2000年以上も昔の人が書いた直
                      筆の手紙が残っているなんて大感激でした。

                      残念ながら手紙の内容はラブレターや遠征について詳しく書かれた
                      ものではなく借金の申込書なのですが(笑)ヘファイスティオンが
                      エジプトでImouthesという名前の人に1000drachmasを半分は現金、半
                      分はワインで借りて、そのうち現金の一部は利子なしいいというかな
                      り細かいことまで書かれていました。

                      映画ではアレキサンダーの親友として非常に印象的だったヘファイス
                      ティオンも、本などで調べると「みんなに嫌われていた」などとあまり
                      いいことは書かれてなく、それどころかかなり酷いこともしていたよ
                      うでショックを受けたりもしました。それでもこうした手紙を見ると
                      彼が遠征を財政面で支えていたことがわかってうれしくなりました。
                      (まさか個人的な借金ではないですよね)

                      なぜかなり前に聞いた話を今ここで日記に書いているかというと、ちょ
                      うどこの時期自分も子供の学校関係の書類を数多く書いているからで
                      す。借金の申込書ではないけれど、入学金を振り込んだり銀行口座から
                      の引き落とし手続きをしたりと、面倒な手続きばかりでちょっとイヤに
                      なるころ、ヘファイスティオンの借金申し込みのことを思い出して自分を
                      慰めているというわけです。

                      何万人もの兵士を率いた遠征にかかる費用は、莫大なものになっていた
                      に違いありません。エジプトに入った時にアレキサンダーの軍隊はまだ
                      ペルシャを完全に征服して富を手に入れていたわけではありません。勝利
                      は信じていても先立つものがない、そこでヘファイスティオンが借金の
                      申し込みに奔走したのでしょう。神の子と信じる偉大な王アレキサンダー
                      にお金のことで頭を下げさせるわけにはいきませんから。衰えていたと
                      はいえエジプトにはまだ王様にお金を貸せるほどのお金持ちがいたよう
                      で、望みどおりの金額、しかも現金の一部は利子なしという条件を聞いて
                      さぞかしほっとしたに違いありません。ヘファイスティオンだって本来
                      はアキレウスのような英雄を夢見る少年だったに違いありません。でもアレ
                      キサンダーを英雄にするために、彼はあえて裏方の仕事を引き受けてしま
                      ったようにも思えます。アレキサンダーの夢を守るためにも自分は地味な
                      金策に走り、偵察や戦いが終わった後の後始末を率先して引き受け、裏切り
                      者が出れば自分が拷問にかけ処刑しろと主張する、英雄らしからぬ行為も
                      全部引き受けてしまってみんなに嫌われた、そんな気がします。

                      借金申込書という現実的なプライベートレター、自分もまた仕事や生活
                      の雑事に追われ、落ち着いて本を読んだり空想にふけったりできなくな
                      ってイライラしている時なのですごく共感できる部分があります。夢を
                      支えるためにはお金のことも考えなければならないし、裏切り者は徹底的
                      に排除しなければいけない。それを実行したヘファイスティオンはやっぱ
                      り立派だと思いました。

                      ステラ * 創作 * 16:53 * comments(0) * trackbacks(0) * -

                      カッサンドロスの王朝

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                        clashref="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480057455/babironia-22/ref=nosim" target="_blank">王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母
                        王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母
                        森谷 公俊
                        JUGEMテーマ:読書


                        紀元前316年、マケドニアの実権を握ったカッサンドロスはアレクサンドロス
                        大王の母オリュンピアスを処刑し、大王の異母妹テッサロニケと結婚します。
                        そして翌年、2つの都市を建設し、それぞれに自分と妻の名前をとって、カッ
                        サンドレイア・テッサロニキと名づけます。

                        結婚した時カッサンドロスは30代半ば、テッサロニケも30歳ぐらいでした。
                        王族の娘でこの年まで独身でいるのは異例のこと、彼女は実の母の死後オリュ
                        ンピアスに育てられるのですが、義理の母は権力を持つ者が出るのを怖れて
                        彼女の結婚の世話はしませんでした。そして実権を握ったカッサンドロスと
                        の半ば強制された結婚、血の繋がりはないとは言え、母のように育ててくれ
                        た人を処刑した男を夫にしなければならない彼女の心境は、さぞ複雑だった
                        でしょう。

                        カッサンドロスはテッサロニケとの間に生まれた息子に上から順にフィリッポ
                        ス、アンティパトロス、アレクサンドロスと名づけますが、どうもこの名前の
                        つけ方が彼の王朝を滅ぼす原因になったように思えて仕方ありません。

                        長男のフィリッポス、これはアレクサンドロスの父フィリッポス2世にちなんで
                        名づけられたのでしょう。テッサロニケもフィリッポス2世の娘ですし、マケド
                        ニアで強大な軍隊を作り上げた王として死後も尊敬を集めていたはずです。

                        次男のアンティパトロス、これはカッサンドロスの父と同じ名前です。祖父の
                        名前をつけること、しかも大臣でしたからこれもマケドニアではよくあること
                        だったのでしょう。ただ、アンティパトロスは死ぬ時カッサンドロスではなく
                        後継者のポリュペルコンを後継者に指名しました。なぜ自分が選ばれなかった
                        という父に対する深い葛藤が生まれ、さらにカッサンドロスは自分の支持者
                        を集めて再び実権を取り戻すために大変な苦労をしています。最後の最後で
                        自分を認めずに死んだ父の名前を息子につけるというのは、名前を呼ぶたびに
                        それを思い出してしまう大変なことだと思いました。

                        そしてテッサロニケにとって、次男につけられたアンティパトロスという
                        名前は、育ての母オリュンピアスが散々悪口を言っていた名前です。テッサ
                        ロニケが子供の頃からずっと母の最大のライバルがアンティパトロスであり
                        彼やその息子カッサンドロスがいかに腹黒で陰謀を企んでいる人間か、たっぷ
                        りと聞かされて育っているはずです。

                        それでも彼女の息子が2人だけならば、まだ救いはあったかもしれません。でも
                        次に生まれた三男はアレクサンドロスと名づけられます。テッサロニケにとっ
                        てアレクサンドロスは誰よりも偉大で一族の希望だった兄であり、同じ名前を
                        つけられた三男をその生まれ変わりと信じて溺愛してしまうのも無理はない
                        と思います。彼女は心から夫カッサンドロスを愛するということは、きっとな
                        かったでしょう。そしてアンティパトロスと名づけられた次男に対しても、自分
                        の子でありながら名前を呼ぶたびに母の言葉を思い出し、無意識のうちにもよそ
                        よそしくなってしまったのでしょう。

                        カッサンドロスの心はどうだったのか。もちろんテッサロニケと結婚したのは
                        王家と血の繋がりをつくりたいためであり、自分の子を正統なマケドニア王
                        にしたかったからでしょう。そのために彼はアレクサンドロス大王とロクサネ
                        の子、まだ12歳ぐらいの少年を部下に命じて殺させていますし、大王とバルシ
                        ネの子もポリュペルコンと取引をして殺させています。アレクサンドロスの血
                        筋を根絶やしにしながら、それでも王宮には遠征の戦いを描いた絵を飾り、息
                        子に王家にちなんだ名をつけています。そして建設した2つの都市のうち1つに
                        妻の名をつけています。テッサロニキだけが二千年以上もの時を経て今日まで
                        残り、もしかしたらカッサンドロスは自分の名前は消えても妻と子の名前だけ
                        は永遠に残したいと願った、と考えてしまいました。

                        オリュンピアスを処刑したカッサンドロスは、妻の心が自分に向けられること
                        はないとわかっていたでしょう。それでも彼女にちなんだ名前を都市につけ、
                        子供達に自分が知っている最も偉大な人物の名前をつけました。父アンティ
                        パトロスだって、どれだけ偉大な人間だったかわかっていて、子供に同じ名前
                        をつけたのでしょう。彼は自分の代で混乱をおさめ、マケドニアを安定した
                        国にいたかったのだと思います。そのためには王家の血筋を根絶やしにすると
                        いう最も恨まれる仕事もしなければなりませんでしたが・・・

                        テッサロニケと結婚してから約20年後、カッサンドロスは50代半ばで病死し
                        ます。後継者の争いで敗れた他の将軍に比べれば長生きだけど、80歳まで生き
                        た父アンティパトロスに比べればまだ若く働き盛りの年齢で突然死んでいます。
                        もしかしたら、彼の死は暗殺?それも家族間の中で誰かが?などと疑いたくも
                        なりますが、歴史の本にはこれ以上のことは書かれてないので推測するのみ
                        です。

                        この先は全く根拠のない私の推理ですが・・・

                        19歳の次男アンティパトロスは、長い間その機会を狙い、父カッサンドロスと
                        兄フィリッポスに毒を盛って殺害することに成功した。弟だけを溺愛し、自分に
                        は決して愛情を注いでくれない母テッサロニケ、その愛を取り戻すためには、
                        母が憎む父を殺すしかないと思い込んでしまったのだ。兄もまた父のいいなり
                        だったので、別の機会に殺した。これで自分が王位につき、母に最高の位を与え
                        ればきっと喜んでもらえるだろう。

                        「母上、私はまだ年も若く未熟です。母上が摂政となり私を助けてください」
                        「あの方だけでなく、フィリッポスまでこんなに早く失うなんて・・・今の
                        私は気も狂わんばかりの悲しみに包まれ、とても政治を行うなどできません」
                        「兄上は弱い人間でした。父上の言いなりになるばかりで・・・そんなことで
                        はマケドニア王として国をまとめることなどできません。父上の死で、あれほ
                        ど動揺するとは・・・」
                        「アンティパトロス、そなたは父や兄の死に少しも動揺していませんでした
                        ね。もしや・・・」
                        「母上は父上を憎んでいらっしゃいました。父上が亡くなられた夜、母上は
                        ほっとした顔をされていました」
                        「私がそのような顔を・・・まさか、そなたは・・・」
                        「母上は長間苦しんでいました。私がそのかたきをとったのです」
                        「フィリッポスは・・・フィリッポスもそなたが・・・」
                        「兄上では国を治めることはできません。母上、私が王になってからは・・・」
                        「なんて恐ろしいことを・・・そなたは父と兄を殺し・・・そのように血で汚れた
                        者をマケドニア王にするわけにはいきません。すぐに真相を追究し・・・」
                        「そしてアレクサンドロスに王位をつがせるのですか。母上に誓います。私は
                        けっして弟を亡き者にしようとはしません。兄弟2人で協力して・・・」
                        「いいえ、そなたはいずれアレクサンドロスまで・・・なんて恐ろしい、誰か
                        誰か来て頂戴!皆の前で真実を明らかにするのです」
                        「母上、お願いです、私はあなたの実の子供です。どうか信じてください」
                        「いいえ、そなたはもう私の子ではありません」

                        テッサロニケは出て行こうとし、アンティパトロスはその背後から短剣で刺した。
                        すぐに人が集まり、自分の犯行を隠す余裕はなかった。血を流して倒れ、意識が
                        遠くなっていくテッサロニケの耳に、聞きなれた声が聞こえた。

                        「テッサロニケ、かわいそうな私の娘、あの男カッサンドロスに愛されたばっか
                        りに・・・あの男は本気でお前を愛していた。それなのに自分の息子に殺され
                        るとは・・・ホホホ、あの男はこれを知ってどんなに悲しむかしら、お前のこと
                        愛していたからねえ・・・」

                        ーここまですべて妄想です。

                        母を殺したアンティパトロスとアレクサンドロスは兄弟で激しく争い、どち
                        らも死んでカッサンドロス朝は短命に終わってしまいました。ただ、テッサロニ
                        キという街の名前だけが今も残っています。




                        ステラ * 創作 * 10:03 * comments(0) * trackbacks(0) * -
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