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    ミエザ、彼らの人生

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      アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史)
      アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史)

      マケドニア王、フィリッポス2世が息子アレクサンドロスのために
      哲学者アリストテレスを招いて作り、同年代で一流の家柄の子弟
      ばかりが集まったミエザの学園、でも彼らのその後の人生は過酷
      なものばかりです。

      アレクサンドロス
       東方遠征に向かいペルシャ帝国を滅ぼすが、紀元前323年6月、
      バビロンで熱病のために死去する。

      ヘファイスティオン
       アレクサンドロスと同年齢で一番の親友。宰相の地位にまで
      登りつめるが、紀元前324年秋、エクバタナで急死する。

      フィロタス
       重臣パルメニオンの長男。東方遠征ではマケドニア騎兵部隊
      の指揮官であったが、前330年秋、大王暗殺の陰謀を知りながら
      報告しなかったという理由で関与を疑われ処刑される。

      プトレマイオス
       大王の死後エジプト総督に選ばれ、後にプトレマイオス朝エ
      ジプトを建国する。後継者の中で唯一天寿を全うし、晩年には
      大王伝を執筆する。

      カッサンドロス
       重臣アンティパトロスの長男。東方遠征には参加せず、大王
      の死後マケドニアの実権を握り、大王の異母妹テッサロニケと
      結婚して王位につく。だが、50代半ばで彼が死去した後は息子
      達が王位をめぐって争い、カッサンドロス王朝は短命に終わる。

      ネアルコス
       東方遠征の帰り道、インド洋沿岸の探検航海を命じられ苦難
      の航海の後大王と再会する。後継者争いで無事生き延び、唯一
      平穏な余生をおくって(?)大王伝と航海誌を執筆した。

      ペルディッカス
       東方遠征では指揮官として活躍し、大王の死の際に指輪を与え
      られて事実上の後継者となったが、他の将軍と対立し、前321年
      エジプト進攻に失敗して部下に殺される。

      ハルパロス
       バビロンで財政責任者の地位を与えられていたが、大王はもう
      戻ってこないだろうと贅沢三昧の生活をしていた。前324年、大王
      の帰還を知ると慌ててアテネに亡命したが、後にラケダイモン人
      によって殺される。

      この他にも何人かいた、あるいはこの中にミエザでは学んでなか
      った人もいるかもしれませんが、こうして見ると彼らのほとんど
      が遠征途中、あるいは後継者争いで命を落とし、マケドニアには
      帰っていません。共に学んでそれまで一緒に戦ってきた仲間と争
      い殺されたフィロタスやペルディッカス、志半ばで大きすぎるほ
      どの未練や想いを残して死んでいるアレクサンドロスやヘファイ
      スティオンなど、それぞれの死を考えると胸が詰まるものがあり
      ます。

      彼らが学んだミエザ、その跡地は建物はもう残っていませんが、
      当時と同じように静けさを保ち、ひっそりと残っています。ヴェ
      リアからエディッサへ向かう途中、ナウサという村の手前でミエ
      ザと書かれた看板の逆方向(看板は別の時代の遺跡を示してい
      る)へ曲がったところにあります。2300年前に彼らが見たのとほ
      とんど変わらない光景でしょう。日の降り注ぐ草の上、思い思い
      の岩の上に腰を下ろして先生の話を聞けば、近くを流れる小川の
      せせらぎや鳥の声まで聞こえ、なんだか眠くなりそうです。この
      景色、彼らの死ぬ間際にふと思い浮かべることができたならば、
      それで彼らは救われるかもしれない、そんなことを思ってしまい
      ました。





      ステラ * 旅行 * 11:37 * comments(0) * trackbacks(0) * -

      テッサロニキの街

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        王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母
        王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母
        森谷 公俊

        紀元前315年、アレクサンドロス大王の母オリュンピアスを処刑したカッサン
        ドロスはフィリッポス2世の娘テッサロニケと結婚し、2つの都市を建設して
        それぞれに自分と妻の名前をとり、カッサンドレイア、テッサロニキと名づけ
        ました。

        アレクサンドロス大王亡き後の激しい後継者争い、その中で生き残ったとは
        いえ、カッサンドロスの生涯も実に壮絶なものです。「王妃オリュンピアス」
        という本にかなり詳しくでているのですが、いつかこの人物の生涯も映画に
        して欲しいと思います。主演はもちろんジョナサンでラブ(笑)

        血なまぐさい争いを経て、ようやくマケドニアの実権を握ったカッサンドロス
        が作った都市テッサロニキ、彼はよほど芸術的センスと先のことを見通す目を
        持っていたのでしょう。マケドニア王家の墓がある古都アイガイや当時の都が
        あったペラがやがては衰え、人々から忘れ去られるようになっても、テッサロ
        ニキの街だけはビザンティン帝国、オスマントルコの時代にも栄え、今もギリ
        シャ第2の都市となっています。

        今のテッサロニキにはビザンティン時代の教会などが残されて世界遺産とな
        っていますが、カッサンドロスの時代を思わせるものは何も残ってはいませ
        ん。アレクサンドロス大王の銅像やアリストテレスの銅像がありますが、そ
        れはずっと後の時代に作られたものでしょう。テッサロニキは近代的なホテル
        やビルが並ぶ都市になっています。それでも街を歩く人々の歩みはゆったり
        とし、大型の犬があちらこちらに寝そべり、どこか懐かしさも感じさせる街
        でした。

        テッサロニキ=カッサンドロス=ジョナサンと連想してしまう私は、近代的
        な街を歩いていてもついついカッサンドロスの影をあちらこちらで感じてし
        まいました。たとえそれが駅や空港で見かけるアルファベットの文字だけで
        も、THESSALONIKIと見かけるだけで反応していました。カッサンドロスの王朝
        は短命で滅び、歴史の教科書に名前すら出ていないけど、テッサロニキの名前
        が今日まで残ったことに奇跡のようなものを感じました。

        あんまりにも毎日カッサンドロス、カッサンドロスと考えながら歩いていた
        ためでしょうか?旅の終わり、イスタンブールの空港でジョナサンによく
        似たとびっきりハンサムな青年を見ることができました。

         
        ステラ * 旅行 * 09:41 * comments(0) * trackbacks(0) * -

        アリストテレスの銅像

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          テッサロニキにはアレキサンダー大王だけでなく、哲学者アリストテレス
          の銅像もあります。街のちょうど真ん中あたりにアリストテレス通りという
          名の大きな通りがあり、その周辺には高級ホテルが集まっています。道は
          まっすぐ海へと繋がり、少し歩けばホワイトタワーやアレキサンダーの銅像
          が見えてきます。

          アリストテレス通りには哲学者の銅像もありました。テッサロニキの街は
          飼い犬かノラ犬かわかりませんが犬がとても多く、歩道などで大型の犬が
          悠然と寝そべっています。ギリシャ第2の都市でありながらそんなのどかな
          雰囲気もある街です。有名な哲学者の銅像の前にもしっかりねそべって守っ
          ている犬がいました。犬はこの街の名前の由来や銅像になった有名な哲学者
          や王様のことなどもちろん知らないでしょうけど、不思議と街の雰囲気に
          よくなじんでいました。

           
          ステラ * 旅行 * 16:47 * comments(0) * trackbacks(0) * -
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